自然農で田植えをした話
自然農で田植えをした。これは長い6ヶ月のささやかな記録である。
5月 農園を出て2年が過ぎた。今年は田植えをしたい。空いてる田んぼがあるよと教えてもらった場所は遠いし、人と一緒にやるのも乗らなかったが、それでもやりたい気持ちが勝った。田んぼを紹介してくれた知人に電話してやらせて欲しいと頼む。
自然農での田植えは一切の機械を使わない。私が農園にいたとき、2回手植えをしたが、1回目は代掻きまではトラクターを使ったし、2回目さえ、畦の草刈りは草刈機を使った。そう考えるとこのやり方は徹底して機械を使わない。またいずれゆっくり考えてみたいが、私にとって機械を使わないことのメリットは、生き物を殺す確率が減ること、自分自身の怪我の確率も減ること、田んぼについて言えば稲刈りの後の土の様子が全く違う。機械を入れない田は小さな草花が生えている。あとは、静かなことも良い。
私が農園で手植えをした時は、機械でやったのとほぼ同じことを人力でした。鍬で耕し、足で踏んで代掻きをした。自然農は違う。耕さないし、だからもちろん代掻きもしない。代わりに溝を掘る。スコップを使ってひたすら掘っていく。本来は4mX12mくらいの長方形の区画を碁盤目に作るのだが、早速のオリジナリティを発揮して、フラクタル構造を応用した溝を掘ってみた。周囲との人間関係という視点で見ればすでにここからして失敗が始まっていたと言えよう。
掘り上げた土は畦にする場所以外は箕でどこかに運ぶべきなのだが、面倒なのでそのままにした。つまり、各区画の端は溝から上げた土で中より高くなっている。これ第二の失敗である。田んぼに高低差を作ってはいけないのは基本である。
種まきは田んぼにする。水は入れないので畑苗代という。畑苗代は管理しやすいというが、実際その通りであった。 4mX12mの区画の一部を苗代にする。田んぼの広さに応じた必要な苗に適した幅で土の表面を削り、種をまく。種を蒔くことを自然農の人たちは種下ろしと呼んでいた。一般にも使う言葉なのかもしれないが、農園ではあまり聞かなかった。種は農園からハッピーヒルの種籾を送ってもらった。塩水選、温湯消毒などはせず、乾燥したまま蒔く。ばらまきと筋まきで迷ったが、ここは助言に従い、筋まきにする。とはいえ私のやること、一粒一粒蒔けず、かなり密になる。乾いているからくっつくのではと言われ、川の水に少し浸けてみる。発芽率が変わるかと思ったが、どちらも発芽率は極めて良好であった。ばか苗や出穂後穂先が白くなり実が入らなくなるものはあったが、農園で温湯消毒していた時と比べて大した差はなかったと思う。あとは刈草をかけて、寒冷紗で覆えば種まきは終わり。寒冷紗を支える支柱は妻に作ってもらった。竹製なのが、それらしくて嬉しい。
表面を削って、種を蒔くので草は生えにくい。しかも田んぼなので、水を入れなくても雨が降れば、溝に水が溜まる。おかげで、ときどき様子を見に行くだけで、ほぼ手を加えなくてよかった。田植えの前に草取りをしたゾーンとしなかったゾーンに分けてみたが、あまり違いを感じなかった。草についてはよほど負けそうにならない限り、案ずることはないだろう、そうこの時点では。
6月 ついに田植えのとき。思いの外、苗の成長が早くて、慌てて植え始める。溝掘りと種まきと田植えは妻と妻の友達と一緒にしたので、田植えのときも、私が表面の草を窓ホーを使って剥がしている間に終わったところをどんどん植えてもらう。自然農では植えるための穴を掘るのに鋸鎌を使う。紐は使わず、目分量で植えたので、間隔が広くなり過ぎたところがある。7畝の田にたぶん5〜6合くらいの種を蒔いて苗を作ったが、田植えの間隔が広かったこともあり、かなり余った。自分のところに植えるよと言ってくれた人たちに分けたが、それでも半分は刈り取ることになった。勿体無いことをした。
この田植えには結構時間がかかる。7畝終わるのに一週間かかった。次は草刈りである。本来、稲の片側だけ刈って稲が草に負けないようにするらしいのだが、何分そう真っすぐに植えたわけでもないので、そうもいかない。そもそも生えてないところには草がほとんど生えていない。田植え前に刈り倒した枯れ草が草抑えになっているのだ。というわけで、草刈りもなんとなく大きい草だけ刈るという適当なやり方にする。熱意がないのだ。なぜだ?農園を出たときから、どこかに自分たちの土地を見つけて、自分たちのやり方で作物を作っていくのが夢なのではなかったか?しかし、言葉は繰り返されるうちにその魂を失う。あるいは言葉だけが宙に浮かんで私の心はどこか遠くへ彷徨いだす。それを嘘と言うことはできまい。ある地点でそれは真実であったのだし、今でもそれに変わる目的は見つかっていないのだから。けれど、心は素直で、体はその奴隷である。これは田んぼではない、水を入れるんでなければ田んぼではない、これは畑だ。だからつまらないんだ、そう言って隣の田を羨んで見ていたときもある。しかし、全てが終わった今言えるのは、どちらにしても熱意は湧かなかったのではないか、と言うことだ。もちろん水田にすれば今回のような失敗はなく、より多くの収穫はあったろう。けれど、それで楽しくなったかはわからない。
7月 この頃から、なんとなく自分の田はおかしいと思い始める。水もたまらない。水のことではやはり、周囲の人となんとなく気まずい感じになることもある。そして、なぜ自分の田から水が漏れていくのかわからない。穴は全て塞いだはずなのに。
苗代を育てた区画も土を戻して田植えするのだが、こぼれ種から次々稲が芽生えてくる。面白いのでしばらくそのままにしていたが、全て小さいままで終わってしまいそうなので、刈り取る。福岡正信さんの『わら一本の革命』を読むと、逆に種籾を密に蒔き、水も最低限しか与えないことで背は低くなり分蘖も減る代わりに一本一本の稲にはたくさんの実がつくと書かれていた。もう少し様子を見ても面白かったのか。
8月 二週間近く実家に帰っていた間に草がかなり伸びて稲が見えなくなっている。ここは流石に気合を入れて刈る。刈り終わったとき、これできっと良くなるだろうと思う。しかし、あいも変わらず、一向にそこは田んぼに見えない。偶然会った、いつもうちに配達に来てくれる人にもここに稲があるんですかと言われてしまう。隣の田で水田で育てている貸主の見立ては2俵。え、これだけ植えて頑張って2俵ですか。がっかりする。
9月 花も終わって分蘖が弱く、周りの田んぼは稲が他の草を圧倒しているのに対して私の田んぼは稲がまばらで草がまた大きくなってきてしまっている。花のあとは田に入らないほうがいいとはいえ、流石に放っておけず、草を刈る。途中でやめる。
10月 ついに水がたまらない理由がわかった、と思う。内側の溝を踏まなかったからそこから漏れていたのではないか。今更ではあるが踏んでみる。しかし、そこに終了のお知らせ。そろそろ稲刈りの準備で水を止めようと思うの。ですよね。かくなる上は精霊たちに頼むしかない。そして私はまた東京に行くのであった。
帰ってくるとかなり熟して何より、乾燥している。田植えと同じく慌てて稲刈り。手伝ってもらって、半日で終わる。5日くらい干して、雨が降る前に脱穀しようと思う。軽トラは持ってないので、年代物の小型軽ハッチバックに干した稲を積んで、家で脱穀する。前の住人(大家さんではない)が田植えをしていたらしく、道具が一通り揃っているのがありがたい。唐箕かけを終えて、米袋2袋くらいと来年のための種籾。1俵行かずか。ちなみに種籾は良い株を取り分けておいて株のままどこかに吊るして翌年まで保存しておくとよいと教えてもらった。10束ほど取っておくことにする。
失敗の理由は稲の間隔が広くてアレロパシーが働かなかったこと、しっかり田んぼの溝全体を踏まなかったために水がたまらなかったこと、そしてこれは全てが終わってから教えてもらったことなのだが、畦の草刈りをしたとき刈草をそのままにしていたので、畦が柔らかくなったのとモグラ穴を発見しづらくなったことだろうか。どれも基本で当たり前であり、なぜやらなかったのかという感じだが、農園でやって疑問に思っていたことを試してみたかったというのもある。例えば、稲の間隔を広くすれば、分蘖がより増えるのではないかというのは子供っぽい発想かもしれない。けれど、試してみたかった。実際には上述のようにアレロパシーが働かず、草に負け、分蘖は減るのではないか。理由を知らないでうまく行くより、経験から学ぶ方が価値があるのだ。
さて、来年どうするの、ということだが、今のところ他にやることが見つからなければ、来年も田植えをすると思う。この場所でやる限りは同じやり方になると思うが、先日、3区画に小麦を蒔いて稲わらを振っておいたので、もし小麦がちゃんと生えたら、そこに米とクローバーを蒔いて、その3区画は福岡さん風にしてみようと思う。
何がしたいのと聞かれたとき、私の答えは変わらず自然の中にいること、だ。稲が美しく生え揃って、田んぼがどこまでも続いている景色は美しいと思う。そして、何か自然の中で、生きる糧を得ていく道を見つけようと、私は今日も空を眺めている。