アトピーが導いてくれた その2

太極拳を始めたことで、体力がついてアトピーも安定してきた。自然と教室に来ている人とも関わるようになり、朝から酒を飲んで練習に来るおじさんと昼ごはんを一緒に食べて帰ったりしていた。教室は木曜日の午前中で私のほかにもう一人整体師の若者がいたが、あとは引退した人たちばかりであった。けれど、誰も私がそんな時間に通っていることを気にも留めていなかったと思う。お金はどうしているのと思われても仕方ないが、もちろん親に払ってもらっていた。それは師の教えでもあった。使えるものはなんでも使ってこの状況から抜け出した方がいいよ。親にお金を払ってもらってもいいじゃない。そう言われて、私も気にせず通っていたが、師は習い事だけしてなかなか仕事を始めようとしない私に厳しくなっていた。この頃、セラピストに憧れて、その勉強の意味もあってホメオパスの元に通っていた。その効果はあまりわからなかったが、県内では有名なローカルチェーンの書店外商部でのアルバイトが決まったのは、ホメオパスが確信をもって処方してくれたレメディを摂った直後だった。

アルバイトとはいえ、仕事をするようになって、いくらか自信がついてきた。太極拳に通っている人からも輝いているねと言われた。アトピーもこの頃はかなり安定していた。それでも完治するということはなく、私は新しい療法を探し続けていた。

そんな折、師が開いたワークショップである特殊な方法でアトピーが治ったという人がいて、師はもしやってみたいなら詳細を聞いてあげるよと言ってくれた。私は少し考えてこの話を断った。自分の力で治したい。自分の内側にある力で治るはずだ。そういう強い思いが湧いてくるのを感じていた。

野口晴哉さんの『風邪の効用』はその思いに応えてくれるものだった。このときには面白い本を読んだら今度はその場所に実際に行ってみるようになっていたので整体協会の本部に行ったり、会社近くの野口整体の流れも汲む整体師の元にも通ったりしたが、どうもピンと来なかった。

ある日西荻窪で友達を待っている間、駅前の本屋颯爽堂で立ち読みしていると面白いタイトルが目に留まった。『病むことは力』。野口晴哉さんの弟子だが、整体協会からは離れ、自身の組織を築いた金井蒼天さんが書いた本である。そこに書かれている病みながらも、活元運動を通して、自分自身と出会い、回復していく人々の姿は私が探していた治療を越えて、癒やされていく何かであった。

隣町で金井先生の奥さんが活元会を開いていたので、行ってみた。そこはそんなに自分に合う場所ではなかったが、翌日の排泄が気持ちよく、活元運動によって体が変わることは確かだった。そこで今度は池袋で別の弟子が開いている会に参加してみた。そうお察しの通りここが私の求める場所だった。こうして当時はただしつこさの賜物だと思っていたのが、実は何か不思議な力によって導かれていたのではないか、と思うようになったのは最近のことである。この活元運動の会にときには週に2回通い、個人指導も受けることで、人生に勢いがついてきて、ついに韓国に一人旅に行くまでになる。

アトピーがあって、億劫になることは旅行と恋愛だろう。旅行は寝具を汚したらと思うし、こんなにボロボロの肌では誰も好きになるまいと決めつけるのだ。つまりは自分に自信がないのだ。その上、家から遠く離れたときや水分が足りないときに不安になる傾向もまだ残っていた。仕事をするようになってからは沢木耕太郎さんの『深夜特急』の番外編『旅する力』の少年時代の沢木さんを真似てホテルの予約もせず、各駅停車に乗ってあてもなく旅をすることを長い休みのたびに繰り返していた。それでも海外に一人で予定も立てず行くのはなかなか勇気のいることだった。

その後、気づけば6年も続けていた書店外商でのアルバイトをやめ、船で中国に渡り、目的地は陸路でインドと定めた旅に出るときも、なかなか出発せず、ぐずぐずしていたが、活元運動の先生に背中を押され、自分でも日本にいても死ぬときは死ぬのだと出発したことを思い出す。

結局、インドどころか、香港からベトナムへバスで行こうか迷った挙句、旅で新しいものを受け入れるのがお腹いっぱいになっていたので、北京に寄って帰国することにする。帰国後、書店員でも旅人でもないただの私に戻った私はまた不安定になり、アトピーがひどくなる。でも、香港にいたときにこれまでにないほどの回復を経験していたおかげでまた船に乗って中国に行けば治るんだとそこまで悲観しないようになっていた。

また偶然の本との出会いが私の人生を進めることになる。そろそろこの記事のタイトルを本が導いてくれたに変えてもいいような気がしてきた。本の名は『わら一本の革命』。アトピーのために母が食事に気を遣ってくれていたので、生協のカタログを通して有機農業には興味があった。しかし、身近に畑仕事をしている人は知らないし、農業には機械と土地が絶対必要だと思っていたので、自分には縁がないと諦めていたのだ。それがこの本を読んで変わった。なんとなく自分でもできそうな気がしたのだ。これは勘違いだったとも言えるし、けれど今実際に機械なしでお米を作ることができたのだから正しかったとも言える。農地も厄介者扱いされるようになったのはちょうどこの頃からなのではないか。色々な農家を回った末に著者の故郷愛媛の福岡自然農園に赴き、研修生として受け入れてもらう。日々の野外でのなかなかきつい仕事はアトピーには良かったらしく見る間に回復していく。

正規の仕事をしたこともなく、アトピーで、実家に暮らしていた私は恋愛に全く奥手だったが、農園では研修に来ていた女の子たちと仲良くなることができた。それは香港で亜熱帯の島特有のスコールを浴びながら、こんなに遠くまで一人で来れたと涙したのと同じく、かつて自分がいると思っていた場所からはるか遠くに来た出来事だった。

その後、私は農園で出会った女性と結婚し、農園を二人で旅立ち、今は島の自然の中で私たちがやることを探しながら暮らしている。その間にもまたアトピーがひどくなることはあったが、四柱推命の占い師の方に教えてもらったようにアトピーがひどくなるというのは何かが間違っていることを教えてくれているのだと思えるようになった。

そして、今信頼を寄せている整体師の先生の言う通り、自分自身に戻ることができたらアトピーは治るのだと知っている。もちろんアトピーだけでなく、他の病気もそうらしい。

アトピーはいつも私と共にあり、私を導き、私の行動を規定してきた。それは不自由なことも多く、理不尽で度々私を怒らせてきた。今後もアトピーで苦しむこともあるかもしれない。けれど、私は知っている。アトピーはそうやって私を導いてくれている。私が歩むべき道を歩むように。

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