二度と会うことはない

大学は出たものの就職するでもなく、もう一度学校に行って学び直すでもなく、これから先どうして生きていって良いか皆目見当もつかなかった僕は父の圧力に耐え兼ね、家に帰らず、なし崩しに祖母の家に住むことになった。祖母も本来は働きもせず、ぶらぶらしている孫を受け入れるような穏やかな人ではなかったはずだが、長い一人暮らしにも飽き、誰でも良いから一緒に暮らしてほしかったのかもしれない。何も言われることなく、奇妙な二人暮らしは始まった。

その頃の僕は毎朝、夜明けしばらくして目覚めると海へ散歩に行った。逗子は日の出を海から見ることはできないので、そこまで早起きする気にはならなかった。家に帰って朝ごはんを食べると、じゃこ炒め、梅干し、鰹節のおにぎりとお茶を入れた水筒を持って鎌倉図書館に出かけた。特に何を集中して学ぶではなく、その時興味のある本を読んで、3時くらいに退館していたと思う。家に着いて一休みしたら、また海へ出かけ、夕陽を眺めならがら歩くという趣味のない定年後のおじさんみたいな暮らしをしていた。

時々、海に行く道を入り口近くで、右に曲がって披露山という低い山に登ることもあった。15分くらいで登れる山だが、木が生い茂っていて、上まで登ると海が見えるので、気に入っていた。

その日もそんな風に披露山を登っていると、髪を短く刈り込んだおじさんに話しかけられた。おじさんは東京から仕事の打ち合わせのために横須賀に来て、帰りに逗子海岸で酒を飲みながら眠ってしまったらしい。起きてみると財布がないことに気づき、このままでは家に帰れないと、山に登ってきたらしい。こう書いてみて「?」と思った。何か記憶違いだろうか。しかし、おじさんと披露山で出会ったことは間違いなく、財布を盗まれた話も確かだから、間違いないだろう。しかし、なぜ、財布をなくした人間が山に登らなくてはならないのか。まさか歩いて王子まで帰ろうとしたというのか。

話をおじさんに戻そう。おじさんは団地などの外壁塗装をしている人で、その仕事の関係で横須賀に来たらしい。大手企業の下請けだったおじさんは企業から来ている社員の悪口を言ったあと僕の方を見て「あんたのような人が来てくれたらいいんだがな」と言った。なぜかおじさんは僕のことをいたく気に入ってくれて、「あんたのような頭の良い人が上に立つといいんだよ」そして僕が祖母の家にいることを知るとそれは父方かと聞いてきた。母方だと答えると「外孫をそれだけ大事にするならあんたのことをよほどおじいさんは可愛がっていたんだな」と言った。記憶が曖昧である。僕は初対面の人に大学のことや祖父のことを話したのだろうか。それともおじさんは何かを見て話していたのだろうか。

そういえば、今思えば不思議なのはおじさんは横須賀での打ち合わせの時もらった数万円も取られてしまった、カミさんに怒られると言っていたが、そんな風に打ち合わせの時にお金を渡したりするものだろうか。

僕はしかし何も疑問に思わずおじさんに同情し、帰るためのお金を渡そうとしていた。その頃の僕は散歩の途中歩けなくなり、家に帰れなくなるのではないかという妄想があり、いつも幾らかのお金を持ち歩いていた。おじさんに5千円札を渡すと、着けていた腕時計を外して僕にくれた。スウォッチだった。これは誕生日に息子にもらったものだから、バレたら怒られるなと言って笑った。僕は悪くなって有り金全部渡すつもりでもう2千円おじさんに手渡した。おじさんは嬉しそうにして、これだけあれば飲み直しに行けるというようなことを言ってまた笑った。おじさんは住所と名前をメモ用紙に書いて渡してくれた。住所は上にも書いたように北区王子だった。逗子から電車で1時間と少し。2千円あればお釣りの来る距離である。

お人好しの僕は変わらず「会いに行きますね。この時計、返しに行きます」と言った。するとおじさんは急に真顔になって「いや、もう二度と会うことはないだろう」と言った。その頃の僕は誰でももう二度と会わないことがほぼ確定の人でもまた会いましょうと言っていたし、実際そのうち会えるのではないかと思っていた。しかし、その後歳を重ねて分かったことはほとんどの人は二度と会わないということだ。毎日職場で顔を合わせていた人たちも一度やめてしまえば、いつでも会えるからと言っていても二度と会わない。毎年の年賀状で今年こそは会いましょうと言い合っていた人とも二度と会わない。君とはずっと友達だと言った人とも二度と会わないし、好きで仕方なかった人とも二度と会わない。

おじさんはそんな真実をまだまだ子供だった僕にさりげなく教えてくれた。おじさんは踵を返すと笑いながら手を振って山を下りていった。

後日、僕は懲りずに王子駅で降りておじさんの家を探しに行った。おじさんに教えてもらった住所は団地で、部屋番号は書いてなかったからポストを調べて名前を見つけなくてはならなかった。少し迷った後、僕は探すことを諦めて、おじさんの教えを受け入れることにした。

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