鶏を絞めに行く

田舎暮らしをしているうちにやりたいことの一つに鶏と猪を絞めるというのがあった。猪の解体は以前何回もやったが、トドメを刺すのはいつも猟師のおじさんたちだった。僕は彼らが時に鉄砲で、時にナイフで猪を殺すのを遠目に見ていた。猪は時によるとかなり暴れた。これではくくり罠という足をかけるだけの罠では外れて、猪に襲われるのも然もありなんだなと感じた。

猪や鶏をこれからも食べていく以上一度くらいは自分の手で殺さなくてはと思っていた。奇妙な義務感ではある。そうしたところで何の意味があると言われると困る。いや、でも食糧難の時に自分で捌けなかったら困るじゃないかという言い訳。食糧難の時?そんな時はもう生きている鶏も手に入らないかもしれない。詰まるところ、なんやかや言って殺してみたかっただけなのかもしれない。昔、そんなことを言っていた少年がいたなと思い出しながら。

翌日、夜明け少し前に目が覚めた。とはいえ、2月のことだ。もうそんなに早い時間ではない。鶏小屋はうちから500メートルくらい坂を上ったところにある。静かな鶏たちで滅多にうちまで鳴き声が聞こえることはないのだが、この日の朝は悲しげな鳴き声が聞こえた。

約束の時間に歩いて行くとまだ誰もいなかった。軽トラは止まっていたが、誰もいない。しばらくすると鶏たちの主人がフランスからのウーファーを助手席に乗せてやってきた。止まっていた軽トラの主は少し離れた集落で農業をしている人だった。彼と会うのは三度目くらいである。挨拶もそこそこに早速鶏の主人はフランス人と軽トラの主に川淵で火をつけるように命じた。その間に僕は鶏主人を手伝って屠殺場の設置を進めた。今日屠殺される20羽の鶏はすでに小さなケースの中に詰め込まれていた。朝になってから捕まえようとすると大混乱になるので前夜のうちに捕まえておくのだそうだ。朝の鳴き声がどこか悲しげだったのはあながち気のせいでもなかったようだ。

二人は火をつけるのに案外苦戦していた。軽トラの主は田舎暮らしが長いが、そんなに田舎暮らしスキルが得意そうではなかった。つまりは都会っ子である。そんなところが僕に親近感を抱かせ、珍しく彼には前から話しかけていた。鶏主人が川に下りて行って、ブロックの位置を変えたり、薪を足したりしているとうまく火が燃え出した。主人は二人に上に上がるように言った。どうやら首絞めの時が来たらしい。

昨夜、妻にもしかしたら、いざ殺すという時になって可哀想になって、「飼います!」と言って家に連れ帰ってしまうかもしれないと言ったら、いいんじゃないと言って笑ってくれた。けれど、目の前に見た時、可哀想という感情はあまり浮かばなかった。昔、檻に入っているうりぼうは哀れであったが、この鶏たちはこれから起こることを知っていて、諦めている、あるいは受け入れているように見えた。

鶏主人が手本を見せてくれる。左手で足首を持ち、右手で顎の下を押さえて捻りながら伸ばす。延髄を抜くようにするのがコツのようだ。軽い動きで鶏は息絶えた。あとは先ほど準備した鉄棒に足を縛り付けて20分くらい逆さ吊りにするだけだ。何度もいろいろなやり方を試して辿り着いたのがこの形ということだ。生きたまま首を切ると首なしの鶏がそこらじゅうに血を振り撒きながら走り回って、後で穴熊や狸が血の匂いに誘われてやってくるという。

主人は我々にもやるように勧めた。フランス人は顔の前で手を振りながら数歩後ずさった。軽トラの主は何回目からしく「えーと」と思い出しながら、鶏を取り出し、捻り始めた。初めはうまくいかなかったが、少しのアドバイスで思い出したようで見事に息の根を止めていた。次は僕の番である。ケースから取り出すとさして暴れることもなく、屠殺の体勢に入ることができた。しかし、二人のように捻りながら伸ばしているつもりがうまくいかない。数度チャレンジしてうまくいかなかったのを鶏の主人が見兼ねて「苦しんでるから」と言って引き取り、一瞬であの世に送ってくれた。鉄棒に足を縛り付けながら、「できる」とアファメーションしてもできないな、やはり、と思っていた。二人が絞める様子を見ているとあっという間にその箱の鶏は残り一羽になってしまった。もう一箱あるから、その箱に入っている鶏で再挑戦だ、と思っていると軽トラの主がやらないんですか、と声をかけてきた。いや、僕がやっても苦しむからとゴニョゴニョしているとせっかくだからやってみてはと言ってくれた。そこで彼に手取り足取り教えてもらいながらもう一度やってみた。さっきは顎にかけた手の捻りが甘かったようだ。そして伸ばしようも足りなかった。思い切り伸ばすと鶏の首の中で何かがすとんと抜けたような感じがして、ほんの数回羽ばたきすると鶏はすぐにぐったりした。静かな時間だった。来る前に思い描いていたような血生臭く、残酷で暴力的なものではなかった。どちらかというとその静けさは氣空術で集中している時のような感じを思い出させた。

みんなで協力して川べりに下ろすと、鶏の主人は火の上にかけていた大鍋のお湯の温度を確かめ、もう少しと言って薪をつがせた。そして、たぶん僕たちが放心状態のように見えたのだろう、こんなことを言った。

「こうやって、生きている鶏を殺すことは残酷に見えるかもしれない。けれど、一般的な採卵養鶏だったら、一度に機械で殺して、そのまま捨ててしまうんだ」

ベジタリアンの妻に言わせれば、どちらも殺すことに変わりはないと言われるだろう。けれど、僕からすれば、ゴミのように殺されるのと一羽一羽、向き合って殺して行くのとでは大きな違いがあると思う。どんな行為もその時の心持ちで全く違ったものになってしまう。悲惨な虐殺にすることもできれば、思わぬ静かな時間にすることもできる。以前に見た映画や本で読んだときに感じたような悲惨な感じがしなかったのは、少なからず鶏たちが死ぬことを受け入れているように見えたからだと思う。山の中の平飼い鶏舎は、庭先で飼われていた昔の鶏ほどのんびりはしていないかもしれないが、時々敷地の外に出てきてしまうほど自由な鶏の様子は、一生をケージの中で動くこともできずに過ごす鶏たちとは比べものにならないくらい幸せに生きているように見えた。鶏の主人は朝晩欠かさず様子を見に行き、草刈りの草や育てたお米の糠、スーパーでもらったくず野菜をあげていた。一部の鶏は知り合いにもらわれて幸せそうに長生きしていた。けれど、今日殺された子たちもどこかで主人の世話に感謝してここで命を終えることを受け入れているように見えた。

一旦死んでしまうとそれはもう鶏肉にしか見えなくなった。さっきまで青ざめていたフランスのウーファーもすっかり笑顔になって、鶏を両手に吊し持って収穫気分を味わっている。ぼちぼち世間話をしながら作業は続いていく。鶏を熱湯につけて羽が簡単に毟れるのを確かめたら湯から引き上げ、紙の上で羽を毟り取る。川の水で洗いながら残った羽を取って、川の水の入っている桶につけておく。僕たちがこの作業に勤しんでいる間、主人は粛々と二箱目の鶏たちの屠殺を進めていた。ああ、あの時、軽トラの主にやってみるように促されなかったら結局できないまま終わって悔いが残ったなと思う。

川に置いたまな板に鶏を置いて出刃包丁で頭を切り落とすのは首を捻るのと比べるとなんでもないことだった。血が残ると動物たちがやってくるので川の中で切り落とすのだ。と言ってもとても浅い、足首まであるかないかの流れである。長靴に穴が開いてなければなんてことない、そう僕のように。さっき、鶏を川で洗う時にもう少し深いところに入ったせいで、僕の靴下は足首までぐしょ濡れだった。体が冷えてくる。長靴には穴が開いてないに越したことはない。

川の中に設置した折り畳みテーブルの上で男四人の料理教室が始まる。鶏の主人は手際よく解体を進めていく。手際が良すぎて参考にならない。ここでも僕は軽トラの主に教えてもらいながら少しずつ進めていった。なかなか切れる場所がわからなくて、骨をナイフでゴリゴリやってるとそうすると切れ味が落ちてしまいますよと指摘される。ふと斜め前を見るとフランス人はサクサクと解体を進めている。聞けばおばあさんが七面鳥を捌くのを子供の頃手伝ったことがあるという。それにしても一回か二回というから器用なんだろう。どうにか一羽目を終え、もう一羽捌き終えると、今度は違うやり方を教えてもらった。頭を落としたら、肛門の上に切れ目を入れて、そこに手を突っ込み内臓を腹膜ごと引き抜くのだ。これはダイナミックだが、あとは綺麗に中の空洞を洗って、ジップロックに入れて冷凍庫に入れておけば保存が効くらしい。こうして、解体と片付けを終え、解散となった。帰り際にすぐ食べる用の部位ごとに切り分けたもの一羽と内臓を取り出したものを二羽もらった。これが冷凍庫に入っていると嫌がられるだろうなとチラと脳裏をかすめたがせっかくなのでもらっておく。

家に帰るともうお昼だった。妻は外で作業していて、思いの外機嫌が良かった。僕は玄関先に七輪を置き、炭に火をつけて早速内臓からいただくことにした。猪の解体をするまで、ホルモンはあまり食べなかったが、解体したての内臓はとても美味しかった。まして、一般の養豚場の豚と違い、餌も自然のものだ。鶏の内臓もそれに違わず、美味しかった。特に砂肝はどんなものかも知らなかったが、特有の歯応えと風味にすっかり虜になってしまった。キンカンという卵の殻ができる前のものも残酷な感じもしたが、一個一個大切に拾ってきて良かったと感じる味だった。まあ、言うなれば小さい白身なしの卵のようなものだ。残りの肉は翌日スープにした。こちらも滋味深かった。

自分で絞めた鶏は特別な味がしただろうか。ただ、その体の温もりと静かな時間だけが、僕の心に残っていた。

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