瞑想会の思い出

その瞑想会の存在を知ったのは市の広報だったと思う。その頃、大学を卒業してプーだった私は祖母の家に居候していた。祖母は新聞を取っていたのでその中に地域の情報のようなチラシが入っていた。イベントの一つは鎌倉芸術館で瞑想会が行われるというものだった。誰がやるとか費用が幾らかとかは書かれていなかったと思う。今となっては時期の前後がはっきりしないのだが、ドクター・ワイルの本を読んで瞑想に興味を持ち始めた頃だったのかもしれない。行ってみたいと思った。こういう時、素直に行くことは稀である。悩んだ末に行かなくて後で後悔したり、ギリギリになってやっぱり行くと決めて慌てて行ったり、いつも一筋縄では行かなかった。けれど、この瞑想会ではそんな記憶はない。珍しいことにすんなり行くことにしたように思う。

当日の夕方、鎌倉芸術館のホールを借りて行われた瞑想会には十人くらいの参加者がいた。先生は小柄な女性だった。アメリカから来たということで、日本人の女性が通訳を務めていた。正直、この瞑想がどのようなものだったかさっぱり覚えていない。やってみてどんな感覚だったのか、帰り道はどんな気持ちだったのか全く思い出せない。しかし、何か気に入ったのだろう。私はこの瞑想会に続けて通うことにした。費用は何も書いていなかっただけのことはあり、無料だった。

二回目の瞑想会も鎌倉芸術館だった。参加者は減っていたように思う。私はまだこの瞑想会にハマっていた。

三回目は会場を大船と北鎌倉の間にあるコミュニティセンターに移して行われた。参加者はだいぶ減っていたと思うが、会場は教室のような感じの広い部屋だった。もしかするとそこは廃校になった学校をコミュニティセンターに改装したところだったのかもしれない。みんなでいかにも学校にあるような机と椅子を移動した記憶がある。主催者側はアメリカから来た女性の先生とコーディネーター兼通訳といったところの日本人女性、そしてチェコ人だという若い眼鏡の男性だった。一方の参加者側は私ともう一人小太りの眼鏡のおばちゃんがいたような気がするが、これもあまり定かではない。

先生に仕事は何をしているのかと聞かれ、咄嗟に「ブックショップ、アルバイト」と言ったが先生は「?」という顔をしていた。必死で同じ言葉を繰り返すが、伝わることはなかった。チェコ人の男性が助け船を出してくれた。「アルバイトはpart time jobで、本屋さんはbookstoreの方がいいですよ」私は早速その通りに言ってみた。私の拙い発音でも通じたようだった。彼はチェコの言葉ができるのは勿論のこと、日本語と英語もネイティブに近いレベルでできるのだ。私が感謝と共に「すごいですね」と言うと彼は控えめに笑って誰でもできますよというようなことを言った。

この日の瞑想会のことは一つだけ覚えているシーンがある。その日の瞑想はみんながそれぞれ好きな言葉を一つ挙げてみんなでその言葉を声に出しながら瞑想しましょうというものだった。例によって他の人がどんな言葉を挙げたかは覚えていない。私はその頃母から聞いたのかそれとも本で読んだのか忘れたが、「寛容」という言葉が気に入っていた。そこで私はそう言った。その瞬間みんなの言葉を黒板に書いていたコーディネーターの女性がとても嫌な顔をした。なんとなくその人から嫌われているなとは思っていたが、そこまで露骨に嫌な顔をされて私は驚いた。と同時に確かに「寛容」という言葉ってなんか変な言葉だなと思った。そんな私の瞬間の思考はお構いなしにみんなは「かーんよーうう」と言いながら瞑想していた。

そんなことがあったが、懲りずに私は四回目の瞑想会に出かけて行った。会場は前回と同じコミュニティセンターだったが、今回は随分狭い個室に変わっていた。参加者も眼鏡小太りのおばさんがいたかは定かではない。先生がアメリカから来て日本に滞在していることを考えると瞑想会はほとんど毎日続けて行われていたのだろう。

この日はいつもとは違って畳の部屋にみんなで丸くなって坐った。そして先生が徐にポータブルDVDプレイヤーを取り出すと映像が流れ出した。コーディネーターの話では彼らのサークルでは瞑想と共にマラソンも重要な修行の一部であるということだった。ポータブルDVDの画面の中では日本人ではまず見ないような太り方をしたインド人らしきおじいさんがマラソンをしていた。この人は先生の、そして勿論コーディネーターの女性とチェコ人の青年の師匠であるという。映像はホノルルの椰子の木を背景にひたすらおじいさんが走るところを映し出していた。

先生もこのマラソン大会に一緒に参加したようだった。三人はこの世でこれほど興味深いことはないというように映像に見入っている。その瞬間私の脳の中で何かが起きた。「これはおかしい。ここにいてはいけない」私はすっくと立ち上がると「すみません。帰ります。もう来ることもありません」と普段の私には似つかわしくない大きな声で宣言して扉に向かった。みんなは唖然として眺めていたが、私が外に出るとチェコ人の青年だけが追いかけてきてくれた。彼は悲しそうな笑みを浮かべながらこう言った。

「ここに来なくなっても瞑想だけは続けてください」

私は曖昧に頷くと後ろも振り返らずにコミュニティセンターの玄関に向かった。帰り道は晴れ晴れとした気持ちだっただろうか、それとも悪いことをしたと思っていただろうか。残念ながらこれも覚えていない。

あの日から二十年が経って私は瞑想を続けている。いや、この言葉は正しくない。あの後瞑想なんて懲り懲りだと思い、暫くすることはなかったし、後年坐禅を始めたものの一年ほどでやめてしまった。だからずっと続けていたわけではない。それでも不思議なことに今も私は瞑想をしている。そしてそれは大切な生活の一部になっている。

今朝も朝の光の中で瞑想をしていると彼の言葉が蘇ってくる。

「瞑想だけは続けてください」

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